お知らせ イベント 2017.09.04
つつじ・しゃくなげフェア2017 俳句募集「受賞作品」
山のホテルの「つつじ」を兼題に俳句を募集しました。
高浜虚子に俳句を学び、自らも「巨陶」の俳号で句集を出す程であった岩崎小彌太男爵にちなみ、昨年もご好評でした俳句を今年も募集し、全国各地からハガキやインターネットを通じてたくさんのご応募をいただきました。
選者に中原道夫様を迎え、厳正な選考の結果、最優秀賞、優秀賞、佳作を発表いたします。五・七・五のリズムから、旅の想い出や、山のホテルから臨む美しいつつじの姿を思い浮かべてみてはいかがでしょうか。
受賞作品・選評
あの母の“あの”には色々な含みがある。読者それぞれに“あの”に当て嵌まる言葉を用意する。寝たきりでは無理であろうが、膝が痛いとか日頃から蹇(あしなえ ※歩行が不自由なこと)を訴えていた母と私は読んだ。家族が呆気にとられている中を驚くことにつつじの斜面を登ってしまった。それほど庭園のつつじが美しく、われを忘れてしまったと思われる。
回想の句。きっとその昔、ホテルの庭園に母に連れられて躑躅を見に来たことがあった。そのときの花の色や広々とした庭のことも覚えているが、一番印象に残っているのは、若かった母のこと。“いつの日”から推測するに何度も訪れているのだ。
毎年の「つつじ」と「富士」の組み合わせを詠った句が出るが、とりどりで色彩の華やかさを表現、何にも増して、富士の“正座”が心憎いと思った。“鎮座”するだと富士の威厳は出るが、“正座”で茶の席の正客のように襟を正しつつじの佳き席に呼んで戴きました、という感じになる。
つつじの蜜の甘さ覚えてる?クラス一の花の蜜を知っている○○ちゃんは、蜜の味から花を言い当てる。どこそこの白つつじの蜜が甘いなどと言いながら、つつじのシーズン、登下校は皆を率き連れ忙しい。蝶々さながら。
中原 道夫プロフィール
1951年 | 新潟県新潟市和納(旧岩室村)に生まれる |
1974年 | 多摩美術大学卒業 |
1982年 | 句誌『沖』へ投句を始める |
1984年 | 第12 回沖新人賞受賞、同人となる |
1990年 | 第一句集『蕩児』(富士見書房)により第13回俳人協会新人賞受賞 |
1994年 | 第二句集『顱頂』(角川書店)により第33回俳人協会賞受賞 |
1998年 | 俳句誌「銀化」主宰 |
句集に「アルデンテ」「銀化」「歴草」「中原道夫俳句日記」「不覚」「巴芹」「中原道夫作品集成Ⅰ、Ⅱ」「天鼠(てんそ)」等。英訳 句集「蝶意」。
現在、新潟日報俳句欄選者、NHK-BS俳句王国選者、日本文藝家協会会員、俳人協会幹事などを務める。
TV番組では、「今日の料理」「男の食彩」「新・日曜美術館」「俳句紀行五-七-五」「BS俳句吟行会」「BS俳句スペシャル列島横断市民俳句大会」(以上 NHK)、「タモリのジャングルTV」「ジャポニカ・ロゴス」など多数に出演。
2009年4月から「NHKラジオ深夜便」一年間担当。
ツツジを守ることがホテルの誇り。今年も爛漫と花を咲かせて。
雪や老齢のせいで枯れてしまったものを補うために補植が必要になることもあります。けれど、ツツジは環境が変わると、なかなか根づかず、しっかり根づくの は1割程度。しかも、樹齢70〜80年のものを万一枯らしてしまったら、元の姿に戻るまでに70〜80年かけなくてはなりません。男爵別邸時代から受け継 いだツツジを守ることはホテルの使命として、愛情をもって日々世話しています。